そして待降節の間、自分より貧しい人や困っている人のために、何か善い行いがどの位出来たかを小さな紙に記録しておいて、クリスマスの聖劇の舞台上の聖家族にお捧げといって、小さな紙でいっぱいになった篭を、うやうやしく届けたものです。
こういう体験から、神様は常に、正直で貧しい人の味方でいらっしゃるのだという事が、子供心にしっかり根付いていきました。
然し、大人になるにつれ、色々疑問が生じてきました。世の中には実に複雑な人生が沢山あって、一概に貧富の区別を見極める事など出来ません。困っている人といっても、本人が努力していても、上手くいかない不器用な生き方の人もいれば、始めから人生を投げていて困窮し、他人をあてにする人もいます。
ところで私のアトリエでは11月も中旬になると、1日工作の日を設けアドヴェントカレンダーを手作りします。作りながら誰ともなく1年を振り返る発言が出て、次々反省や思い出話に花が咲きます。そして待降節の間1日毎に小さな窓を開け、中のメッセージを受け止めつつ主の御降誕を待つのは、いくつになっても楽しいものです。
現在私がクリスマスに学ぶのは、何事に対しても希望を持って待つという事です。