その日に読まれる聖書の箇所は、毎日のミサの朗読箇所です。いったん声に出して読み、又静かに黙読した後、心にとまった一節、ずきんときたところ、疑問のあるところなどを自由に思い思い分かち合います。それがなかなか泉の水のように豊かに溢れ出ます。
つくづく宗教的センスというのは、それぞれの生き方そのもの、いつくしみの心や、真理を求める誠実さ、苦しむ人に寄り添う思いなどに、宗派を超えてあるものなのですね。
話題はそれこそ、体の具合から、人生の諸問題、なんでもありです。それから、お楽しみの持ち寄りのお惣菜でお昼です。お得意の鶏のからあげ、煮豆におつけもの、いつものお赤飯など。美味しいごはんと愉しいお喋りに時を忘れて、みな頬がゆるみ、"いい顔"になっています。こんな輪がどんどん広がっていくといいなと思わずにはいられません。
Oさんは、最初から「よし、宗教、宗派を超えた聖書勉強会を立ち上げましょう!」と意気込んで、人を集めたのではないそうです。私も友だちに誘われての参加でしたし、気がついたらこのようなメンバーになっていたとのこと。
これでもっと他の多くの宗教の方たちが加わったら、「世界宗教家庭の集い」になりますね。