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友好

土屋 至

今日の心の糧イメージ

キリシタン武将高山右近の伝記を読んでいたら、当時堺や高槻で行われた日曜日のミサには、戦場で敵となって争っていたキリシタンの武士たちが同じミサに平和的に参加していたということが書かれていました。

これを読んで思い出したことがあります。学園紛争が下火になった50年ほど前のことです。

私には同じ中学高校で学び、ほぼ同じころ一緒に洗礼を受けた親友がいました。彼は何事にも真剣にとりくみ、口数は少ないけれど、一本筋の通った男でした。大学には彼は1年遅れて入学。私と同じ教育学部に一年遅れで進学してきました。しかし、久しぶりに会った親友は対立するセクトのリーダーでした。学生大会ではお互いに激しくののしり合い、相手の方針を非難攻撃しあいました。

 

それは悲しいことでした。中学高校以来はぐくんできた友情がこんなことで亀裂が生じ壊されていくものかと。

 

そこで私はこのことをあるスペイン人の神父さんに相談しました。子どものときにスペイン市民戦争を経験したその神父さんは「和解のミサ」を3人でしようと提案したのです。親友にそのことを持ちかけたら、彼もそれを待っていたかのごとく賛成してくれました。そして、そのスペイン人の神父さんがつかさどる、親友とわたしの3人だけの「和解のミサ」が畳の部屋でささげられました。その神父さんは、ミサの終わりでどんなに政治的に対立していたとしても変わらない友情を祝福してくれました。

 

それから私たちは中学高校以来の親友関係を回復しました。そして、私もかれも大学を卒業して別々の高校の教員になりました。今はもう2人ともリタイアしています。

 

しばらく会っていない彼に久しぶりにたまらなく会いたくなりました。