真の友を見出すことは、私たちの生涯において差し迫った重要な課題です。何故なら、真の友を見出すことができないなら、ある意味、健全な形での友好関係を他人と築けないからです。「この人もいつか自分を裏切るのではないか」と疑心暗鬼しつつ他人と関わっても、本当の友情は、そこに育ちえないからです。
多くの人が、自分を見捨てない存在として人生の初めの段階で見出す相手は、両親、あるいは、両親のように関わってくれる人達です。しかし両親も、両親に代わる人達も、私達の人生のあらゆる段階で私達に同伴できる訳ではありません。大抵の場合、私達より先に天に召されます。
それでは、私達は、どこに真の友を、私達を見捨てることなく、生涯に亘って同伴してくれる友を見出せばよいのでしょうか。
聖書のイザヤ書の中に、次のように書かれています。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも私があなたを忘れることは決してない」。(49・15)この方、主なる神は、私達にとって、友以上の存在、また親以上の存在です。