その子ネコは友人に拾われて、一命を取り留めた。友人の手のひらの上でスポイトでミルクを飲み、四~五日すると元気になった。子ネコは命を助けてくれた人を親だと思った。そんな子ネコも一年もすると、思いのほか大きなオリーブ色のネコになり、貫禄があった。誰にでもなつくわけではなく、友人にだけなついた。友人に何か嫌なことがあったらしいと察すると、本を読んでいる両腕に乗ってきて、「ボクはいつだって、命を助けてくれたあなたの味方だからね」という態度をとった。子ネコが拾われたばかりの頃は、友人のあとをどこにでもついていったが、大きくなるとかえって友人を慰めるようになり、実に素晴らしい友好関係を築いている。
このひん死の子ネコが助かったのは運がよいと言えばそれまでだが、「ニャー」と意思表示をしたことは、子ネコにとって幸いなことだった。そして助けてもらい、自分も何かできるようになったら敏感に友人の心情を察して慰めている。
ここでは単に人間と子ネコの話だけれども、人間の私もほんとうにどうにもならないとき、この子ネコのように神様に対してきちんと意思表示をしただろうか?
神様に助けていただき、元気になったら、友のために誠意を尽くして働いただろうか。
私も子ネコのように義理堅く働いていこうと決心をした。