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友好

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

ここ2年ほど、ほぼ毎朝エレベーターに乗り合わせるOLさんがいます。最初私は、何気なく天気の話しなどしていたのですが、間もなく彼女は自分のいる世界以外の人と話したくないのだと分かってきました。私からの会話には応じるのですが、自分からは挨拶以外一切言葉を発しないのです。ついに、返事すらしなくなりました。毎朝会うので敵対はしないけれど、隣人として友好関係を結びたいとは思っていないのです。だから、どんなに心の門を叩いても、ある一線から先はぜったいに外に出てこないのです。

別に仲良しの友達になってほしいとは思いませんが、こちらが問題を起こしたわけでもないのに、ほぼ毎日会う人とこれほどはっきり一線を引こうとするのはなぜなのでしょう。

視点を変えて彼女の立場になってみました。自分の世界以外の人と関わりたくなければ、毎日会う人とでも余計な友好関係を結ぶ必要はありません。したがって、一線を引く意思が強いのではなく、いやだからしないだけなのです。

この姿勢を、私は「慎重な友好」と呼んでいて、年齢を問わず広がっている気がします。

さまざまな事件が起きる時代、対人関係に慎重になる気持はよく分かります。しかし、人生を独りでは送れないのと同様、社会の一員としての人間は、隣人との関わりを避けては生きられないのではないでしょうか。

共存を実感できる程度の友好関係と、同時に程よい距離感を保つ力がなければ、危機が起きたとき社会は機能しなくなるでしょう。挨拶をするだけでなく、ある程度は心を通じ合わせて生活する必要があると思うのです。

万が一の危機に備えるうえでも、今一度、隣人との友好を見直す時期にきているのかもしれません。