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おおらかに

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

おおらかに生きたい、と人々は願っていますが、地球のあちこちには暴力と戦争が続いています。かたや戦争の無い日本では、おおらかに悠然として長命を楽しんでいる人々も沢山います。色々の国の過去の歴史の流れが、その国民の現在の幸福を決めています。

人間が幸福をつかむ重要な哲学の一つが「おおらかさ」。国のリーダーに「おおらかさ」を求めるのは酷な視点かもしれませんが、個人の生活での「おおらかさ」は人を幸せにしていく大事な視点です。

身近な友人を観察していると、過剰反応というか過敏症というか、周囲の人の言葉に異常なほどに反応し、自分で自分を嫌われ者にしている人も沢山います。心を表現する言葉は、表現したい内容の氷山の一角にすぎません。虚しいものでもあります。その空しい言葉に囚われて喧嘩、悪口、いじめは後を絶ちません。

かたや言葉を大切にしつつ実におおらかに明るく幸福に生きている人も沢山いて、相手がどんな汚い言葉を発しても、何故、そのような汚い言葉を言ったのか、その意味を考える人もいます。その人は人間大好き、怖い人間も、善良そうな人間も、どちらにも深い関心をもっている。

何故そのような関心があるか、観察していくと、彼が信じている神様は「全知全能で愛そのものの神様、その神様は全ての人間と直接、聖霊を通して交流している」と信じているようです。ですから、相手がどんな汚い言葉、意地悪な言葉を自分に向けても、その聖霊が自分の成長と人間の器を大きくする為の試練と解釈しているようです。ですから彼の身辺に起きるどんな現象も一つも無駄にならないのです。なんとおおらかな心でしょう。