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おおらかに

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

激動、激変のデジタル時代、世の中ますますせわしく、だれしも、あくせく、せかせかせざるを得ません。この激流に立ち向かい、生き抜くことは、並大抵なことではありません。それだけに、「こせこせせず、ゆったりと 怒りや苛立ちなど感情を見せない」穏やか、温厚、円満な人柄に、だれしも、なれればなりたいと、願っています。

それぞれ、社会の第一線の職場では、上司・部下相互、また顧客に対しては、ことさら気をつかい、最大限「おおらかな心」を持って接しているに違いありません。とりわけ接客業では、それが徹底し、習慣的な行動パターンとなっています。よりよい人間関係、万全のサービス、誠に喜ばしいことですが、これがともすると、ただ単に毎回同じマンネリ反応に堕し、「不徳の致すところ」という悔やまれる事態を招きかねません。

そもそも、「おおらか」とは、どういうことなのか。辞書によりますと、分量の多いさま、ゆったりとして こせこせしないさま、おおよう、つまり、寛大な心であります。寛大の寛という漢字は「ひろい」という意味から「心が大きい」「いつくしむ」「めぐむ」という意味にまで及んでいます。

社会の人々だれもが全員、幸せになるための共通善実現のための「おおらかさ」とはなにか。熟慮するに、それは「物質的なことに限らず、精神的なものも含め、己の最善なものを人に与え、自分自身もその人も互いに幸せと喜びを共感すること」と言えるのではないでしょうか。

聖書も次のように説いています。「『心を尽くしてあなたの神である主を愛せよ』これが一番の掟である。第二もこれに似ている。『隣人をあなた自身のように愛せよ』」と。(マタイ22・37〜39)