ところが人間は、そのように自然の一部でありながら、本能を越えて、常に何かを与え合う不思議な生き物でもある。
この「与え合う」という習性は、人が生きる上で、また人の社会が機能する上で、不可欠なものらしい。人は何も持たず、無力な状態で生まれて来る。世話をされ、教えられ、愛情を注がれて成長する赤ちゃんは幸福だ。そして、子どもも多くを与えられるほど、生きがいや喜びを豊かに周囲の人々にもたらしてくれる。成人になれば、自分の技能や時間を使って、社会に貢献するが、自分の仕事が認められ、感謝されることもまた喜びだ。誰かを助け、役に立てることほど大きな幸福はない。
人が何かに生きがいを感じ、幸福に思うなら、そこに人の生きる意味が隠されているのではないだろうか。人は愛され、助けられて幸福になり、また助けることで幸福になるようだ。長い人生を経てきた人は、多くを与え続け、多くを与えられて来て、人の世の幸福をよく知った人なのではないかと思われる。
「静かに心を澄ませなさい。身体が老いたために出来なくなった事柄を悲しむ必要はない。それらは、あなたには不要になっただけなのだから。心を澄ませて、本当の幸福を思い出しなさい。あなたが望む限り、幸福は続く」そんな声がよく聞こえるように、冬は静かに澄み渡るのかもしれない。