昭和40年代半ば頃の80歳といえば、今と異なり、ずいぶんと老人に見えたが、外見とは違い、ゆっくりではあったが、日常のすべてのことを自分でこなした。
私が一番心に残るのが、脳溢血で突然倒れて亡くなった時、汚れ物を一切残さなかったことである。それこそハンカチ一枚も。
風呂に入りながら、自分の下着や靴下など小物は手洗いし、干してから眠りにつくのが祖母の日課であった。
私も昨年の大腸ガンの手術のあと、夜、必ず、その日の汚れ物は洗い、干してから眠りにつくのが習慣となった。
祖母の亡きあと、私の手本となったのが、夫の父母であった。同居生活は苦しいことも多かったが、しかし、舅、姑が老いていく生の姿をそっくりそのまま見せてくれたことは、何よりの生きた勉強であったと思う。
特に姑は左半身ふずいで入院するまでは、反面教師として見ることが多かったが、入院してのちの5年半、私にとって、老いることの意味を教えてくれた恩人だと思っている。
半身ふずいになった姑は、残された機能に対し、ひとつひとつ感謝した。右手がきくので、右手だけの合掌をした。その姿は一枚の絵のように私の心に残っている。老いて、身体が不自由になっても、神さまに感謝する心だけは失われないと姑は教えてくれた。