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老いるにも意味が・・・

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

私の勝手な思い込みですが、最近、思うことがあります。それは、例えば、若者が3人集まると将来の夢について熱く語られ、おばさま方が3人集まると、そこにはいない人たちのうわさ話が語られ、中年男性が3人集まると最終的に沈黙が流れ、熟年を迎えた方々が3人集まると、現在抱えている病気や老後の不安の話になるのではないか、ということです。歳を重ねていくということは、病を背負い込み、不安な日々を生きるということなのでしょうか。

あるシスターから聞いた話です。介護老人ホームに入所されていた、あるおばあさんが、自分も人の役に立ちたいと「何か仕事をさせてほしい」とおっしゃったそうです。そこで、そのシスターは、こう答えたそうです。「あなたは笑顔が素晴らしいから、毎朝、入所されている方々や職員さんたちに笑顔で、大きな声であいさつをしてくださいませんか」と。本人は、「それだけですか。」と言っていたそうですが、「ま、やってみるか。」と笑顔でのあいさつを始めてくださり、それを最後までやり通したそうです。

幾つになっても人の役に立ちたい気持ちが実は誰にでもある。その気持ちに支えられて、誰かのために何かができる。もし、体の自由がほとんどなくなったとしても、誰かのためにお祈りすることはできる、と思いました。

歳を重ねるにつれ、病を幾つも抱えたり、動作の一つ一つがゆっくりになったり、思うように動くことが日に日に難しくなっていくことでしょう。それでも、今まで生きてきた経験と知恵を生かして、何かに挑戦し続けることができるのだと思います。こうして、誰かのためにも生き続けていくこと、幾つになっても自分の人生を他者のためにも開き続けていくことが老いることの意味なのかもしれません。