お母さんは「おじいちゃんになったんでしょう? ご祝儀の1万円、用意してくださいね」と容赦なしです。
一方おじいちゃんは、学校に行ったり宿題をしたりと、老体に鞭打って孫のために奮闘しますが、やはり2日目にしてギブアップ。「わしは疲れたよ。もう取替えっこはやめんかのう」
ちなみに、せりふの細部はおぼえていないので、いまの会話は内容を再現した私の文章です。
そんなこんなで、2人の「取替えばや物語」はあっけなく終わり、それぞれの年齢として生きるのがいいんだという結論に至ったのでした。
爆笑しながら、ふと考えました。年齢相応の役割があるなら、高齢者には高齢者の役割があるわけです。人生の先輩方としての役割をきちんとはたしてくれる高齢者には、年下の者として自然に敬意が湧き、敬老という言葉が生まれたのでしょう。高齢だから敬われるのではなく、高齢者としての役割を果たすから敬われるのだと私は思います。
核家族時代で世代間の理解が難しくなっているいまこそ、老いも若きも年齢相応の役割についてともに考える必要があるのではないでしょうか。