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2人3脚

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

以前から、疑問に思っていたことがあります。それは、イエス様が最後の晩餐の時、何故、「感謝」を捧げることができたのかと言うことです。弟子たちにパンと葡萄酒を、ご自分の「体」、ご自分の「血の杯」と言いながらお与えになりました。その時、イエス様は、「感謝」を捧げておられます。この食事の後、すぐに十字架上の死が待っていたにも関わらずです。

この疑問を解く為に、ヒントとなった記事があります。それは、病床で洗礼を受け、闘病生活を送る中、ご自分が信仰によって慰めを受けたことに気づき、神様への感謝のしるしとして何かを捧げたいと思い立ち、最終的にご自分の目を、アイバンクに寄贈された方の記事でした。

私も、自分の信仰生活を振り返る時、感謝の念が湧いてきます。 私は、大学卒業と同時に受洗しました。それまでの私は、非常に飽きっぽく、忍耐心もありませんでした。例えば、中学、高校、大学時代、それぞれ部活に入りましたが、中学時代は3ヶ月で、高校と大学時代は、それぞれ1年で辞めてしまいました。受洗後、神様のお導きで修道生活を始める事となり、今年、初誓願から25年を迎える事ができました。受洗を境に、私の人生は大きく変わりました。

マーガレット・パワーズという人が、「あしあと」という詩を書きましたが、私も、自分の人生を振り返った時、2組の足跡が見えます。1つは私のもので、もう1つは主のものです。主が、様々な困難の時、共にいて励まし力づけて下さいましたので、今の自分があります。自分の人生の中に、人間の力を超えた力が働いてきたことを感じないではいられなくなり、感謝の念に堪えません。感謝のしるしとして、これからの自分の生活を捧げて行きたいと思います。