人生の教訓

片柳 弘史 神父

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神父として数々の失敗を重ねる中で近ごろ身に染みて思うのは、「物事が自分の思った通りにならないとき、腹を立てても始まらない」ということだ。思った通りにならない現実に腹を立て、いら立ったり、周りの人に当たり散らしたりしても、何もいいことはない。物事が自分の思った通りにならないときは、「この現実の中で、自分に何ができるだろう」と考え、全力で現実と向かい合うに限る。

たとえば、会社で自分の思った通りの役割が与えられなかった場合、そのことに腹を立てても始まらない。「自分を正しく評価してくれない」と言って会社を恨んでも、状況はますます悪くなるばかりだ。そんなことをしている暇があれば、気持ちを切り替えて「この現実の中で、自分に何ができるだろう」と考えたほうがいい。与えられた現実の中で全力を尽くせば、必ず道は開ける。誠実な働きぶりが上司から認められることもあるだろうし、つまらないと思っていた仕事の中に面白さを発見することだってあるだろう。

家庭で、家族が自分の思った通りに行動してくれないような場合でも、そのことに腹を立てても始まらない。「どうして勉強しないの」と子どもを厳しく責めても、子どもはきっと反発するだけだろう。「どうしてわたしの気持ちをわかってくれないの」と配偶者を非難しても、夫婦の関係はますます悪化するばかりだ。そんなことで時間を無駄にするより、気持ちを切り替えて「この現実の中で、自分に何ができるだろう」と考えた方がいい。相手を変えることはできなくても、自分を変えることはできるのだ。

現実に腹を立て、現実を否定しても何も始まらない。むしろ謙虚な気持ちで現実を受け止め、その現実の中で自分にできることを考えるようにしたいと思う。

人生の教訓

黒岩 英臣

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私は、自分にとって教訓と言えるような、どこか重みのある話を思い出してみようと努めてみました。

そうして何十年ぶりかで思い出したのが、多分親に教わった昔話、うっかりして池に斧を落としてしまったお爺さんの物語でした。

お爺さんに池の女神様が現れて、手に持った金の斧と銀の斧を差出し、お爺さんが落とした斧はどちら?とたずねるあの話です。

ここで定石通り、正直者のこのお爺さんは、「とんでもねぇことで」と、へいこらしながら、「あっしの落としたのは、ただの鉄の斧なんでさぁ」と答えました。すると、女神様はこのお爺さんの正直さを褒め、その証にこの金の斧をあなたにあげましょうという事になりました。

ここでめでたし、めでたしではなく、更に続きがありましたよね。

このやりとりを物陰から見ていた欲深爺さんは、早速、わざと斧を池に投げ込みました。すると、さっきの女神様が現れたので、「わしは金の斧を池に落としてしまいやして・・」と言いました。すると女神様は、「あなたはうそを言っている。だから、あなたの鉄の斧をも失うのだ」と言って消えてしまったので、欲深爺さんは何もかも失ってしまったんだとさ。

子供のころ、私達はこうした昔話とか、その類の話で「うそはいけない」という事を学んだのだと思います。単に、「うそは悪である」などと教わるよりも、この話を聞いたほうが、もっと深く心に入った気がします。

この、「うそはいけない」という処に着目して、ここをすり抜け、大笑いするのが、皆さんご存知の落語、「時ソバ」でしょうね。人生にはこうした楽しみも許されます。

さて、一言、聖書の素晴らしい教訓をご紹介致しましょう。

「主が愛する者を叱るように、父はいとしい子を叱る」。(箴言3・12)


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