友人が、町内で独り住まいの老婦人のお世話をしたことがあった。かつて少し知られた歌人の方であったので、尊敬と親しみを持って、その方のために尽くした。が、老婦人は友人の骨折りを享受しながら、全く感謝をしない。それどころか、暴力を振るわれた、怪我をさせられた等と事実ではないことで彼女を非難して回ったのである。それで友人は、老婦人が親族からも孤立している理由が分かった。
友人の善意は、思いがけない姿で返って来たわけである。友人はずいぶん傷ついたのだが、しばらくすると、何となく近所の人が優しくなったような気がした。人々は彼女の努力を見ていて、この顛末に同情していたのである。これもまた思いがけないことであった。
善意は旅の衣を着て生まれる。人から生まれると、すぐその人の許を離れ、旅に出てしまう。人々の間を巡り、生みの親の許に帰って来た頃には、長い時間を経て、姿もすっかり変わっているので、それと分からないことも多い。
この長い旅の時間が、人の生きる時間の長さを思わせるのである。人生は帰って来る善きものを待つ時間であり、人もまた善きものであると知る時間であるのかもしれない。