もちろん教訓といっても、中には苦い教訓もあります。津波にさらわれた方のことを思うと、「海の近くでは、地震が起きたらすぐに高台に避難すること」などです。でもそれだけで、私たちを安全に導く、いのちを守るものとなっているでしょうか。
心のともしび。「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう。」このフレーズを「人生の教訓」として下さっている方も、もしかすると中にはおられるかも知れませんね。
私たちにとって、私にとって、ともしび、支え、道しるべとなっているものは何でしょう。
北の夜空に輝く星。小さな北極星。海の船乗り達にとっては、確実に北を知ることのできる手がかり。羅針盤やGPSが活躍する現代でも、変わることなく北を差し示してくれる星。大切な道しるべでしょう。
私たちは、時を経ても変わらないもの、私たちを安全へと、成功へと、幸福へと導くもの、その様な言葉、存在に憧れ、探し求め、見つけたものを大切にしながらも、今もなお探し続けているのかも知れません。
私を導いてくれる「言葉」「教訓」、その言葉に出会う時、その言葉を語る存在に出会う時、私たちは変えられてゆきます。出会った大切な「ことば」一つ一つ、出会った大切な「存在」一人一人を大切にしながら、今日というこの日を、「今」というこの時を大切に歩んでゆくことができます様に。
友人が、町内で独り住まいの老婦人のお世話をしたことがあった。かつて少し知られた歌人の方であったので、尊敬と親しみを持って、その方のために尽くした。が、老婦人は友人の骨折りを享受しながら、全く感謝をしない。それどころか、暴力を振るわれた、怪我をさせられた等と事実ではないことで彼女を非難して回ったのである。それで友人は、老婦人が親族からも孤立している理由が分かった。
友人の善意は、思いがけない姿で返って来たわけである。友人はずいぶん傷ついたのだが、しばらくすると、何となく近所の人が優しくなったような気がした。人々は彼女の努力を見ていて、この顛末に同情していたのである。これもまた思いがけないことであった。
善意は旅の衣を着て生まれる。人から生まれると、すぐその人の許を離れ、旅に出てしまう。人々の間を巡り、生みの親の許に帰って来た頃には、長い時間を経て、姿もすっかり変わっているので、それと分からないことも多い。
この長い旅の時間が、人の生きる時間の長さを思わせるのである。人生は帰って来る善きものを待つ時間であり、人もまた善きものであると知る時間であるのかもしれない。