人間はひとりでは生きられず、多くの人に支えられて生きているのだから、自分もその時に出来る精一杯のことを他人のために尽くさなければいけないということを身をもって学んだ。
人を助け、人を励まし、互いに思いやって暮らす人々を見て育ったことは、その後の自分の人生にいつも明るい光を注いでもらったと感謝している。
現在、自分たちさえよければと思って暮らしている人々の何と多いことだろう。
先日も新聞で世界の富豪62人の資産と最貧層36億人分の総資産と同じだという記事を読み、がく然とした。
ここまで格差の進んだ地球上の人々を、天からごらんの神さまは嘆いておられるであろうことが想像される。
「62名の富豪たちよ!体はひとつ、胃袋はひとつですよ!それだけの富は必要ないでしょう。富を貧しい人々のために手放す勇気を持ってください。そして、天国に宝を積んでください。」と語りかけたい。
ふるさとの家では、ひとつの物を半分にし、他人に分けた。あるものは分けるのが当然だと思っていたから、こそこそと隠し立てなどしなかった。いつも貧しい中でも助け合い、朗らかに生きてきた。
私も細々とではあるが、ゆかりの人々の歩いたあとを歩き続けている。
私は婚約もしたが、立ち消えになった時には、母は肩を落とした。
いつもわが家は玄関や部屋の間取りがよく変わった。訪れる人は家の周囲を回って玄関を探し、家の中の様子も変わっているので驚いていた。玄関はどこになったかと電話で確かめて訪れる人もあった。そんな母も何度も玄関や部屋を変えても「ダメなものはダメ」と言い、私がキリスト教の信者になった頃から、結婚については何も言わなくなった。
その代わりに内気な弟が美しい女性と結婚をし、可愛い子供が4人誕生した時には、「まとまるものは、まとまる」と母は思った。「ダメなものはダメ」、「まとまるものは、まとまる」という2つの人生の教訓を経たあと、母の心に神の光が射しこんだ。母が頼りにするのは聖書のみ言葉に変わった。
「山は移り丘は動いても、我がいつくしみは変わることなし」(参 イザヤ54・10)
母が遺したこの書を見ると、私が母の願いを叶えらなかったことは切ないけれど、私の最高の理解者だったと思う。