私は婚約もしたが、立ち消えになった時には、母は肩を落とした。
いつもわが家は玄関や部屋の間取りがよく変わった。訪れる人は家の周囲を回って玄関を探し、家の中の様子も変わっているので驚いていた。玄関はどこになったかと電話で確かめて訪れる人もあった。そんな母も何度も玄関や部屋を変えても「ダメなものはダメ」と言い、私がキリスト教の信者になった頃から、結婚については何も言わなくなった。
その代わりに内気な弟が美しい女性と結婚をし、可愛い子供が4人誕生した時には、「まとまるものは、まとまる」と母は思った。「ダメなものはダメ」、「まとまるものは、まとまる」という2つの人生の教訓を経たあと、母の心に神の光が射しこんだ。母が頼りにするのは聖書のみ言葉に変わった。
「山は移り丘は動いても、我がいつくしみは変わることなし」(参 イザヤ54・10)
母が遺したこの書を見ると、私が母の願いを叶えらなかったことは切ないけれど、私の最高の理解者だったと思う。