神に愛されている人間、生まれつき、幸福を求め、愛を追求し続ける人間。その幸福とは、いったい、なにか?説教がましく響きますが、結局、人生の最終目的は、絶対者の栄光にあり、神を知り、神を愛し、神に仕えること。常に理性的に倫理的良心をもって生きることであります。
このことを確証するかのように、ローマ法王フランシスコは、昨年秋の国連総会で演説、「暴力や戦争は、すべての権利を否定する。今日ほど、人間の理性の働きある倫理的良心が嘱望されたことは未だかつてない」と、世界の指導者の良心に強く訴えかけました。この訴えに多くの人々が共鳴、共感し、肝に銘じています。
聖書も私たちに訴えています。日常的なことをきわめて具体的に「2枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、清い良心と信仰を保つ者となりなさい」と。(1テモテ3・9)