修道女になって日も浅いある日、リタは修道院長から、庭の隅の壁際にある枯れたぶどうの木に、毎朝、毎夕、水をやるようにと命令された。その木は誰が見ても完全に枯れ切っていた。しかし、リタは疑いも見せず、上長の命令に従った。
365日、全く同じ態度で、ぶどうの木を愛で続けた。その姿を見た他の修道女は、なかばあきれるほどであった。
しかし、その1年後、枯れ枝に黄緑の芽が吹いたのである。
それから毎日毎日、あちこちの枝に芽が吹き、やがて、何とぶどうの房をつけた。
上長の命令に素直に従ったリタの上に、神さまが新しいいのちをプレゼントしてくださったのである。リタの謙遜に裏打ちされた一途さが神さまの御心を動かしたのである。
私はこの話が大好きで、友人知人と集った時、リタの話をよく持ち出す。ほとんどの人が「そんな枯れた木に朝晩、水やりをしても無駄やと思うから、わたしには出来ないわ」という。
しかし、私はリタを真似して、すっかり枯れてしまったはずの植木に水をやり続け、芽が出た経験がある。これはあくまでも植物の話である。人間だと、もっともっと豊かな水やりをまわりの人がしてあげれば、美しい心の芽を出すにちがいないと私は思っている。
まずは自分の心に水やりを続けたい。