日本語の「いのち」の「い」は、「いのる」「いきる」などと同じく、人間の尊厳に関わる時に使われています。
「い」で始まる言葉に、動詞の「忌む」という言葉もあります。
「いむ」は、辞書を見ますと、「相容れないものとして拒否する」「好ましくないものを嫌う」「慎んで穢れを避けること」とあります。
この「いむ」が霊魂を意味する「ち」という音と繋がって「いのち」になったとされています。古来、日本人は、魂を救済してくれる超越者を認め、生まれながら、穢れを避けて生きようとする天性に恵まれています。「人間は、神から出、神へ向かう者として、神とのきずななしには、充実した人生はない」と、教会は教えますが、日本人の「いのち」は、いみじくも、この教えに融合します。
「すべてをささげて、神に結ばれるとき、何の悲しみも苦しみもなくなる。そのとき、わたしのいのちは、真に生きる者となる」。これは、13世紀、聖トマス・アクイナスの言葉ですが、常に神とともに「いのち」は、新しく、清くありたいものであります。