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新しいいのち

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

中国古典にある言葉、「日に新たに、日々に新たに、又日に新たなり」。「今日の行いは、昨日よりも新しくよくなり、明日の行いは今日よりも新しくなるよう修養に心がけねばならない」

古代中国の伝説的名君、湯王は、毎日使うタライにこの教訓を刻み、日々の戒めにしたと伝えられます。誠に殊勝な名君の心がけではありますが、今日の超高齢化社会においては、生物学からみても悲しいかな、逆のケースが多く発症し、この教訓は、今や"賞味期限切れ"かも。いずれにせよ、「日々新た」は、人間の根源にある向上心の表れ、躍動する「いのち」の賜物であります。

 

日本語の「いのち」の「い」は、「いのる」「いきる」などと同じく、人間の尊厳に関わる時に使われています。

「い」で始まる言葉に、動詞の「忌む」という言葉もあります。

「いむ」は、辞書を見ますと、「相容れないものとして拒否する」「好ましくないものを嫌う」「慎んで穢れを避けること」とあります。

この「いむ」が霊魂を意味する「ち」という音と繋がって「いのち」になったとされています。古来、日本人は、魂を救済してくれる超越者を認め、生まれながら、穢れを避けて生きようとする天性に恵まれています。「人間は、神から出、神へ向かう者として、神とのきずななしには、充実した人生はない」と、教会は教えますが、日本人の「いのち」は、いみじくも、この教えに融合します。

「すべてをささげて、神に結ばれるとき、何の悲しみも苦しみもなくなる。そのとき、わたしのいのちは、真に生きる者となる」。これは、13世紀、聖トマス・アクイナスの言葉ですが、常に神とともに「いのち」は、新しく、清くありたいものであります。