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愛の実践

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

極限時に於ける愛の実践の代表者はイエズスさまであるし、あとコルベ神父さまが続く。

他人のために命を投げ出すなど、凡人の私にはとうてい出来そうにない。

私が最近よく思うのが、戦中・戦後の食糧難の時代のことである。

極限の空腹状態のときの人間の姿に思いをはせるのである。戦中戦後の時代、母親が食べるのを我慢し、子どもには先に食べたと嘘をいって、子どもに自分の分を食べさせたという話をよくきかされた。

「それでこそ母親たいね。自分の分を我子に与える。それが愛情っちいうもんたいね」と父母はいっていた。

ここで突然、猫の話になって申し訳ないが、ノラ猫の我子に対する愛情は涙なしには見られない。食べ物をやっても、母猫は食べないで、まず子どもに食べさせ、残った分を自分が食べるのである。

また父母の話に戻るが、父母は戦中戦後の食糧難の時代に、食べ物を隠すことなく、誰彼に惜し気なくふるまった。

戦時中、我家の裏に疎開していたおばちゃんは現在93歳であるが、年に数回、私たちきょうだいに梨やみかんなどの宅配便が届く。それは私の父母が戦時中、赤の他人のおばちゃん一家に何ひとつ隠し事をせず、食べ物を分けたことに対する感謝だというのである。

ひるがえって自分のことを考える。もし、将来、食糧難になった時、自分の家にある食糧を惜し気もなく分ける事ができるだろうかと。血縁ならともかく、赤の他人に対し、そう出来るだろうかと。

極限時に自分の家にある食べ物を分け与えることが出来て、初めてカトリック信者を名のれると思うので、今からそういうことが出来るように神さまにお祈りしたい。愛の実践のお恵みをいただきたいと・・・。