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愛の実践

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

ちょっとしたことでも腹を立てて暴言を吐いたり、理由もなく周りの人に当たり散らしたりする人は、どこの世界にもいるようだ。そう言うわたし自身も、そんな人になっていることがときどきあるみんなと仲よく暮らしていけばそれが一番だと分かっているはずなのに、なぜそんなことをしてしまうのだろう。

それは、心の中にある傷のせいではないだろうか。体に傷を負った人が、痛みに耐えかねて叫び声をあげるように、心に傷を負った人も、痛みに耐えかねて叫び声をあげる。どうしていいか分からないまま、暴言を吐いたり、周りの人に当たり散らしたりするのだ。ちょっとしたきっかけで叫んでしまうのは、ふだんじっとその痛みに耐えているからだろう。

そう思えば、暴言を吐いたり、当たり散らしたりする人に違った態度で接することができるようになるだろう。「この人はいま、心に耐えがたいほどの痛みを抱えているのだ。怪我人が大声で叫ぶのと同じように、痛みに耐えかねて私に助けを求めているのだ」と思えば、相手を責めようとは思わなくなる。むしろ、相手へのいたわりが生まれ、あたたかな言葉をかけることができるはずだ。自分自身が暴言を吐いたり、当たり散らしたりしてしまうときには、「こんなことをしても仕方がない」と思い、自分自身をいたわって「神様、どうかわたしの心の傷を癒してください」と祈ることができるだろう。

暴言を吐いたり、当たり散らしたりする人が、たまにしか会わない人ならば、我慢するだけでもなんとかなるだろう。だが、家族や友だち、あるいは自分自身ならば、さらに一歩踏み込んで、心の痛みを思いやり、心の痛みに寄り添う覚悟が求められる。どんな場合にも、人間関係の問題を解決してくれるのは愛なのだ。