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いつくしみの特別聖年

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

楽しい集まりの中での突然の爆発、思いもよらない日常生活に無数の銃弾が撃ち込まれ、人々は血まみれになって倒れてゆく・・・近頃増えている恐ろしい光景です。

ところで、私たちカトリックの教皇フランシスコは、思いを馳せるだけでも、もう、心が温まってくるような、とにかく、愛情深い方だと思いますが、昨年の12月8日の「無原罪の聖マリア」の祝日から今年11月の「王であるキリスト」の祝日までの1年弱を、「いつくしみの特別聖年」と決められました。

教皇様のこの呼びかけに応えるには、まず私たちキリスト教徒がこれまで本心から、ありとあらゆる場において、憎しみなどと大げさな事ではなくとも、心の隅をチラッと掠める羨望だったり、殆ど気付かれなかったかも知れない程の意地悪の行為などは、いくつもしてきた事を認め、顔を赤らめながらも、謝罪しなければならないでしょう。

それに比べて神様の私達への慈しみは実に深く喜ばしいものです。

まず、神は私達各々を胸がさけそうになるほど愛おしく思ってくださり、ギューッと抱きしめ、それこそ目に入れても痛くない思いでいらっしゃるのです。

これ程愛されて、嬉しくない人はいないでしょう。

それから、この聖なる年は、旧約聖書のレビ記とも関係していると思われます。(参:25章)

モーセに率いられてイスラエルの民がシナイ山麓にいた時、主はモーセに仰せになりました。

「イスラエルの人々にこう言いなさい。あなた達は6年間働いたら7年目にはその畑を主のための安息として休めなさい。・・安息の年を7回すなわち7年を7度数えなさい。・・この50年目の年を聖なる年とし、全住民に解放の宣言をする。・・私は主なる神である」と。