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いつくしみの特別聖年

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

私はローマ法王のことをパパさまとお呼びしているが、フランシスコパパさまには、そのお顔、お姿、言動に、いつくしみの心があらわれている。

パパさまになられた時、ふるさとの人々がお祝いにかけつけようとしているのを知ると、「わたしのお祝いより、そのお金で貧しい人たちを救ってください」とおっしゃった。

その言葉に出合い、私はフランシスコパパさまに尊敬と親愛の情を抱かずにはおられなかった。

高齢にもかかわらず、世界各地で平和をアピールされているお姿に接すると、「われらのパパさまここにあり」と誇らしさを感じる。

そのパパさまが自分の言動通りに「いつくしみの特別聖年」を提唱されたことは意味深いことである。

現在、世の中を見回すと、いつくしみの心が薄らいでしまっていることを感じる。

シリア難民の惨状が毎日、テレビ、新聞等で報じられているが、今こそ、いつくしみの心が発揮されなければいけない時だと私は強く思っている。

自国の民のことも大切であるが、神さまの子で、兄弟である人類に対し、国籍は異なっていても手を差しのべるべきだと思う。

人間、この世に生かされているのは100年前後。そのわずかの時間、お互い助け合いの心で暮らしたいものである。

キリスト教系の結婚式に招かれると、必ず「いつくしみ深き友なるイエスは・・」と全員で合唱する。1番の歌詞、2番の歌詞、3番の歌詞ともに深い深い意味がこめられている。信者でない人たちも、結婚式の帰りに「この歌はいい歌ですね。この歌詞、捨てないで、時々、出して意味を考えながら歌うことにします」という。いつくしみという言葉の響きの何とあたたかくやさしいことだろう。

この聖年にこの言葉が広がることを祈る。