健康で、なに不自由なく自分の体を動かすことの出来る私が、立つことも歩くことも思うようにならず、回復の見込みもない彼女の苦しみを、わがことのように苦しむことが出来るだろうか、と。
いくらいっしょうけんめいになってもズレてしまう。力を入れれば入れるほど「それはちがう!」のです。もっともっとこの方の支えに、力になりたいのに。
「神さま、ほんとのほんとのいつくしみの心を、手を、お与えください!」と、この時ほど祈ったことはありません。
自分を過信していたのでしょう。
死の恐怖と闘い、不安と絶望に苛まれる人の心に寄り添い、ともに苦しむことが完全にお出来になるのは、イエスさま、私たちのかわりに十字架上で苦しんで亡くなってくださったのはあなたしかおられませんのに。
私も自分自身と闘っていたのでした。よれよれになり、へとへとになっていました。もうお手上げ、という時にその方が、「ごめんなさい。わがままばかり言って。もう少しだけ辛抱してくださいね」と言われたのです。抱きあって泣きました。
長い病室の夜が明けはじめ、窓ガラスに白い灯台の光がうつっていました。