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いつくしみの特別聖年

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

「いつくしみの特別聖年」の公布と聞いて、心底うれしく思いました。

現代人の考え方は、過去の人々よりいつくしみを忘れているのではないか、とのメッセージは自分自身への問いとなります。

全世界の人々がこの聖年のモットー、「おん父のようにいつくしみ深く」を生きようとするなら、世界は変わるのではありませんか。

私は縁あってこのひと月、ある難しいご病気の方の介護をさせて頂いたのですが、このモットーを生きるのは、言うは易く行うは難し、と自分の弱さを思い知らされたのです。

健康で、なに不自由なく自分の体を動かすことの出来る私が、立つことも歩くことも思うようにならず、回復の見込みもない彼女の苦しみを、わがことのように苦しむことが出来るだろうか、と。

いくらいっしょうけんめいになってもズレてしまう。力を入れれば入れるほど「それはちがう!」のです。もっともっとこの方の支えに、力になりたいのに。

「神さま、ほんとのほんとのいつくしみの心を、手を、お与えください!」と、この時ほど祈ったことはありません。

自分を過信していたのでしょう。

死の恐怖と闘い、不安と絶望に苛まれる人の心に寄り添い、ともに苦しむことが完全にお出来になるのは、イエスさま、私たちのかわりに十字架上で苦しんで亡くなってくださったのはあなたしかおられませんのに。

私も自分自身と闘っていたのでした。よれよれになり、へとへとになっていました。もうお手上げ、という時にその方が、「ごめんなさい。わがままばかり言って。もう少しだけ辛抱してくださいね」と言われたのです。抱きあって泣きました。

長い病室の夜が明けはじめ、窓ガラスに白い灯台の光がうつっていました。