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いつくしみの特別聖年

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ

いつくしみ。辞書の大辞林で引くと「慈愛、恵み」。その中の慈愛の「慈」の字を聖書のソフトで検索すると、その大半が旧約聖書の詩編の中にありました。特に詩編136では、26全ての文で、様々な出来事を挙げ、神の慈しみは永遠・・・と繰り返し語られています。

「でも私にはこれほどまでには思えない。」その様に感じる方もおられるかもしれません。

時に私たちは、大切なことを忘れていたり、感じられなくなったり、受け取れなくなっているかも知れません。その様な中、誰かに守られている、愛されている、大切にされている。そのことに気付き、受け止めようとするとき、私たちは変えられてゆくことでしょう。

様々な出来事の中に何が隠れているのか、ともに生きる人の行いや言葉の中には、私へのどんな思いが秘められているのか、それは様々な「かくれんぼ」でもあり「宝探し」・・・。

耳を澄まし、目を凝らし、隠れている良いものを探しましょう。ここにあった、あそこにあった、この人、出来事のこんなところにもあんなところにも、優しさ、想い、慈しみが・・・きっと隠れた宝物が見つかるでしょう。それに応えて、心の想いを添え、まなざしを添えて、周りの人、物事に接してゆくなら、私たちの周りは温かな想いで満たされて、慈しみの輪が広がってゆく。その様になってゆけばどんなに嬉しいことでしょうか。

優しさ、想い、慈しみなど・・・。それらは私たちを包み、生き返らせてくれるもの・・・。その「いのちの泉」の源である神と出会い、その泉に潤され、私たちの内からも、優しさや、想い、慈しみの水が流れ出てゆきます様に。