時に私たちは、大切なことを忘れていたり、感じられなくなったり、受け取れなくなっているかも知れません。その様な中、誰かに守られている、愛されている、大切にされている。そのことに気付き、受け止めようとするとき、私たちは変えられてゆくことでしょう。
様々な出来事の中に何が隠れているのか、ともに生きる人の行いや言葉の中には、私へのどんな思いが秘められているのか、それは様々な「かくれんぼ」でもあり「宝探し」・・・。
耳を澄まし、目を凝らし、隠れている良いものを探しましょう。ここにあった、あそこにあった、この人、出来事のこんなところにもあんなところにも、優しさ、想い、慈しみが・・・きっと隠れた宝物が見つかるでしょう。それに応えて、心の想いを添え、まなざしを添えて、周りの人、物事に接してゆくなら、私たちの周りは温かな想いで満たされて、慈しみの輪が広がってゆく。その様になってゆけばどんなに嬉しいことでしょうか。
優しさ、想い、慈しみなど・・・。それらは私たちを包み、生き返らせてくれるもの・・・。その「いのちの泉」の源である神と出会い、その泉に潤され、私たちの内からも、優しさや、想い、慈しみの水が流れ出てゆきます様に。