そんな時です。1人で旅行などしたことがない母が、一大決心して横浜からやってきたのです。私の妊娠中の様子を見るために、そして生れてくる子供の準備を手伝いに、やってきてくれたのです。その晩、大阪に単身赴任中の母の弟である叔父も、我が家にやってきて一緒に食事をしました。
母と叔父と私たち夫婦で鍋を囲みました。生まれてくる私たちの赤ちゃんのこと。母の子供の頃のこと。叔父の子供の頃のこと。あれやこれや話しているうちに楽しかった食事が終わりました。「コーヒーを入れよう」夫が台所へ立っていきました。しばらくすると、狭いアパートはコーヒーの香りでいっぱいになりました。
その後、東京へ戻った叔父は、60歳を前に病で倒れ、数年後、天に召されました。ほどなく、母もパーキンソン病で亡くなってしまいました。
私のお腹にいた子供と次々と生れた子供たち3人は、それぞれに家庭を持ち、私たちのもとから巣立っていきました。
漂うコーヒーの香りと共に、私は若かったあの頃のことを思い出します。誰の助けもなしに生きていけると信じていたあの頃。そんな娘を心配して様子を見に来てくれた母の優しさ。その母と姪夫婦に会おうと出向いてくれた叔父の優しさ。母と叔父の笑顔と笑い声。
すべてが懐かしくありがたく、涙が溢れてくるのです。
私と夫は香り立つコーヒーをゆっくりと飲むのでした。