彼女は口数が少なく、いつも私のおしゃべりに付き合ってくれていました。とても器用で、夏休みの作品展に手作りのパズルを出品し、週末にはノートや小物入れなどを作っていました。そんな彼女が、膨大な時間を割いて千羽鶴を折り、成田空港にもってきてくれたのです。
「元気で行ってきてね」
彼女にしては珍しく、大きな声ではっきりと言い、手を握ってくれました。こうして、折り紙は彼女の気持ちとなって、私の心に深い印象を残したのです。
そんな経験もあり、私は留学中、事ある毎に折り紙を折って人にあげていました。気持ちを込めた日本の「アート」は、大変喜ばれたのでした。
帰国して、それまでも好きだったピアノを本格的に好きになったと自覚し、心の糧は折り紙よりピアノになりました。でも、折り紙の地位は後退しませんでした。
大学院進学のため受験勉強をしていたとき、私はふと引き出しの奥に眠っていた折り紙を取り出し、何気なく折りはじめました。
鶴、ユリ、風船、36枚折りの薬玉・・・。久しぶりなのに、手はすべておぼえていました。
折ってあるものでもピンピンの紙でも、折り紙に触れると、私は自分やほかの人々のさまざまな「気持ち」を思い起こします。それは、懐かしい「気持ち」の手触りなのです。