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なつかしい

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

小さいころ、私は折り紙が好きでした。レパートリーは人並みでしたが、折るという作業が好きだったのです。特に、何か不安なことがあると、いつも折り紙を折って精神を立て直していました。

折り紙が私にとって落ち着きの手段から、心の原風景のような懐かしい存在となったのは、友達のおかげでした。高校生のとき、アメリカに留学することが決まった私に、クラスメイトだった彼女が千羽鶴を折ってくれたのです。

彼女は口数が少なく、いつも私のおしゃべりに付き合ってくれていました。とても器用で、夏休みの作品展に手作りのパズルを出品し、週末にはノートや小物入れなどを作っていました。そんな彼女が、膨大な時間を割いて千羽鶴を折り、成田空港にもってきてくれたのです。

「元気で行ってきてね」

彼女にしては珍しく、大きな声ではっきりと言い、手を握ってくれました。こうして、折り紙は彼女の気持ちとなって、私の心に深い印象を残したのです。

そんな経験もあり、私は留学中、事ある毎に折り紙を折って人にあげていました。気持ちを込めた日本の「アート」は、大変喜ばれたのでした。

帰国して、それまでも好きだったピアノを本格的に好きになったと自覚し、心の糧は折り紙よりピアノになりました。でも、折り紙の地位は後退しませんでした。

大学院進学のため受験勉強をしていたとき、私はふと引き出しの奥に眠っていた折り紙を取り出し、何気なく折りはじめました。

鶴、ユリ、風船、36枚折りの薬玉・・・。久しぶりなのに、手はすべておぼえていました。

折ってあるものでもピンピンの紙でも、折り紙に触れると、私は自分やほかの人々のさまざまな「気持ち」を思い起こします。それは、懐かしい「気持ち」の手触りなのです。