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なつかしい

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

初めて出会ったのに、「なつかしい」という感情が湧くことがある。前からよく知っていたような気がする、初めて会った気がしない、などと私たちは言う。その時、私たちは本当は何と出会っているのだろうか。

モンゴメリーの小説「赤毛のアン」は、孤児であるアンが、独身のまま年取った兄妹マシュウとマリラの家に引き取られるところから始まる。アヴォンリーの村では、満開の季節を迎えた桜の木々が夢のような美しさだった。アンは喜びで一杯になり、自分を迎えてくれる家はどれだろうと、丘の上から沢山の家々を眺める。その時のアンの目は「熱心で、なつかしげ」であった、と書かれている。

アンはその美しい村を一目で好きになり、満ち足りた気持になった。本来自分がいるべき場所はここであり、ついに帰って来たのだと感じたのである。アンの魂にとっては、アヴォンリーが本当の故郷だったのだ。

人に与えられている魂は、何と鮮やかな働きをすることだろうか。アンの魂は、この村に幸福があることを、すでに「なつかしい」故郷であることを、言葉を使わないでアンに伝えているのである。

自分にとって「帰って行ける場所」を持っている人と出会った時、私たちはその人を「なつかしい」人だと思う。その人の中に、自分の魂が安らぐ故郷があり、また自分の中にも、その人の魂を暖かく迎える部屋があると感じるのだろう。

ささやかなものであっても、なつかしいと思える何かを持っている人は幸福である。そこには魂の深い働きがあるからだ。人に魂が与えられていることの限りなさを、感謝のうちに思っている。