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なつかしい

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

わが人生を振り返って何が懐かしいのでしょうか。

わたしの人生の前半は、母のいない日々を空しいと感じながら生きた時代でした。またわたしが生まれた昭和6年、1931年は、日本が満州事変に入ったときです。そして7歳で小学校に上がるときは、シナ事変でした。しかも、10歳で父を亡くし、12歳で旧制中学校に入ったときは、太平洋戦争でした。こういう暗黒の時代に生を受けたことを、正直なところ喜んだことはありませんでした。

けれども、神さまはいらっしゃいます。

カトリックの専門学校の学生だった姉から、神さまや天国の話を聞き、宗教的な書物をもらったことで、神を信仰し、熱心に祈ることが出来ました。こうして、人が生きる究極の目的は、神を見出し、神と一致することにあると分かりました。

今何を想い出して懐かしいと感じるかというと、1949年、18歳のクリスマスに洗礼を受けたことでした。アルプスの大自然に囲まれた長野の盆地で、カトリック教会に通い、ドイツ人の神父から教理を学び、やがて友人と共に、クリスマスにカトリックの洗礼を受けることができたのは最高の恵みでした。

洗礼式とクリスマスの聖夜ミサが終わり、新雪降りそそぐ善光寺に向かう長野市の中央通りを深夜、独りで歩きながら、神の慈しみ溢れる恩寵を味わいながら、善光寺の近くにある兄の家に帰るひと時は、至福そのものでした。

懐かしいその日があったからこそ、今日までのわたしの人生の歩みがあったと思います。美しい日本に生まれても、物欲に明け暮れて過ごしたのでは、暗黒のあの世が待っているだけではないでしょうか。それからだけは救われなくてはなりません。