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共にいる神

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

「神は、確かに生きておられる。わたしと共にいて下さる」と、改めて実感させられる体験がときどきある。最近では、こんなことがあった。

先日、ひょんなきっかけからテレビに出演したときのことだ。スタジオで目の前にずらっと並んだ大きなカメラを見たとき、わたしはすっかり緊張してしまった。テレビの向こうでは、何百万人もの人たちがわたしを見ているという。舌はからからに乾き、頭の中は真っ白。台本も何も思い出せない。他の出演者たちが話している間、わたしは神の助けを求めて心の中で祈っていた。

そのときわたしは、ふっとあることを思い出した。マザー・テレサも生前、一度だけスタジオでテレビ出演したことがあるのだ。

「マザーなら、いまのわたしの気持ちを分かってくれる」。そう思ったわたしは、「マザー、どうか助けて下さい」と心の中で必死に祈った。すると、緊張は消えうせ、いつもと同じように話すことができるようになった。同じ苦しみを体験したという事実が、マザーとわたしをしっかり結びつけてくれたのだろう。神が、マザーを通してわたしを助けて下さったのだ。

同じ苦しみを味わったという事実には、人と人をしっかり結びつける力がある。イエス・キリストが、この地上で人間が味わうすべての苦しみを味わい、十字架上での無残な死を遂げたという事実は、その意味でとても重要だと思う。やがていつかわたし自身が死の苦しみに直面するとき、イエスが十字架上で死の苦しみを味わったという事実は、わたしとイエスをしっかり結びつけてくれるに違いない。そのために、神はイエスを地上に遣わして下さったのだろう。

苦しみはわたしたちとイエスを結びつける絆であり、苦しみのときにこそ神はわたしたちと共にいて下さるのだ。