そのときわたしは、ふっとあることを思い出した。マザー・テレサも生前、一度だけスタジオでテレビ出演したことがあるのだ。
「マザーなら、いまのわたしの気持ちを分かってくれる」。そう思ったわたしは、「マザー、どうか助けて下さい」と心の中で必死に祈った。すると、緊張は消えうせ、いつもと同じように話すことができるようになった。同じ苦しみを体験したという事実が、マザーとわたしをしっかり結びつけてくれたのだろう。神が、マザーを通してわたしを助けて下さったのだ。
同じ苦しみを味わったという事実には、人と人をしっかり結びつける力がある。イエス・キリストが、この地上で人間が味わうすべての苦しみを味わい、十字架上での無残な死を遂げたという事実は、その意味でとても重要だと思う。やがていつかわたし自身が死の苦しみに直面するとき、イエスが十字架上で死の苦しみを味わったという事実は、わたしとイエスをしっかり結びつけてくれるに違いない。そのために、神はイエスを地上に遣わして下さったのだろう。
苦しみはわたしたちとイエスを結びつける絆であり、苦しみのときにこそ神はわたしたちと共にいて下さるのだ。