母が旅支度として選んだ着物は、白っぽい銀の地に萩の模様だった。母の母親の名前は萩野だった。気丈な母だったけれども、旅立つ時には、自分の母親に包まれていたかったのかもしれない。萩の模様の着物を着てロザリオを手にした母は美しかった。
そして、可愛がっていたこぶたのぬいぐるみのテレーズと一緒に柩にいれてほしいと常日頃から話していたので、テレーズはバラの花冠に白いレースのヴェールをかけて、母のそばに寄り添って旅立っていった。
私は、記憶が薄れて、周囲のことが認識できなくなって息を引きとった母を想うと、胸が締め付けられるようだった。
そんな時に、私が砂漠で体験したことを思い出した。数年前、エジプトのカイロからナトリウム渓谷にある修道院にいくために、現地の男女のガイドを頼んで砂漠を車で横断したことがある。途中、車の外に出て休憩をした。細かい粉のような砂が霧のように立ちこめて先が見えなかった。上を見上げるとぼうっと太陽があるのがわかった。この時、私がここにいることを知らせたくてもできない。私も粉のような砂の一粒だったが、神様だけは確かに太陽のように共にいるという感覚だった。
おそらく母も頭の中に粉のような砂が霧のように立ちこめていたとしても、神様だけは、太陽のように共にいてくださったのではないかと信じている。