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働き

土屋 至

今日の心の糧イメージ

40年ほど前に製本工の仕事をしていたが、いつも機械の音に囲まれたうるさい仕事場だった。二つ折りをした紙に1枚の紙を挿入して六ページの本を1日に5万部つくる「入紙」という手作業がしばしばあった。それを4、5人でするので一人当たりは1万を越す単調な繰り返しの作業である。

その労働の原点ともいうべき仕事を5年ほど経験していろいろなことを知った。

たとえば、数を数えながらの単調な作業の繰り返しのあいだでも心は結構自由だということに気づく。だから、作業がはじまると自分の想像の世界にはいりこむ。労働と祈りがなじみやすい理由がわかった気がした。

 

仕事中たまたま全ての機械が止まって静かな時間が来ることがある。そんなときは皆が自分の手を動かすのをやめ、ホッと息をついてわれに戻り、互いの顔を見まわしながら短いおしゃべりが始まる。けれど機械が動き出すと、また手を動かして想像の世界に戻っていく。あのときみんなはどのような想像の世界にいたのだろうか?

 

仕事の上達を見るのも面白かった。はじめの半年くらいまではなかなか上達しないのだが、10ケ月をすぎたあたりから急速にうまくなる。

けれど2年経つと上達のペースが遅くなり、やがて止まる。1時間に2千5百くらいまではできるようになるのだが、この仕事15年のベテラン工がする3千には決して追いつけない。これが「職人の年季」というやつだ。

 

「こういう作業を繰り返しするのはうちの会社ぐらいだから、ここで一番速ければきっと「入紙」では日本一だね。いや世界一かもしれないよ」と職人気質の仲間の一人が誇らしく言っていた。

けれどいまはこういう製本職人もいなくなり、職人気質も消えてしまった。さびしいことである。