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クリスマスとは

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

東北新幹線に乗り宇都宮を過ぎると日光連山が見え、そして白い雪を戴いた美しい那須連峰が見えてきます。新白河でローカル線に乗り換え、黒田原にある修道院を訪ねます。ここのシスター方への「宗教心理学」を講義する為です。しかし、結果として、いつもシスター方から逆に沢山の事を教えられ帰宅します。

そこでのミサは私には素晴らしいもので、いつも心が満たされて静かな感激と感謝でミサを終わります。そこでの早朝のミサは不思議な雰囲気を持ち、ミサが終わると、私は天国で永遠に安らげる自分を確信してしまいます。少年の頃から悪さばかりして生きてきたこの私が、何故、ここでのミサは私を安心させるのでしょう?

その理由を色々考えた結論は、あの御聖堂の十字架のキリスト様のようです。深いシスター方の祈りを背景に、その十字架を観ていますと、数十年の私の人生での出来ごとが電光のように流れ、反省の恥ずかしさから汗も流れます。つまり我が人生を想い出しながら冷や汗をかいているわけです。

私が信じているカトリックの信仰によれば、全知全能で愛そのものである三位一体の神様を信じ、キリストの十字架による贖罪と復活を信じれば、どんなに悪さをして生きてきたとしても、私の魂は救われますよ、と教えてくれています。この教えを頼りに1954年、高校時代に洗礼を受け、そして今日に至るまで、この教えに我が人生を賭けて色々の事件や困難を乗り越えてきました。この頼りになる人物イエス・キリスト様が居なければ、私の魂はどうなってしまったか、考えただけで恐ろしくて身震いが出てしまいます。

クリスマスとは私にとっては永遠の生命と幸福を保証された記念日です。