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クリスマスとは

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

東北の雪国ではクリスマスというと、キリスト教徒ではなくとも辛く長い冬を耐えぬく前の、光に満ちたお祭りとして人びとは楽しみにしていたように思う。私の家族もキリスト教徒ではなかったので、クリスマスとは、幼子イエスさまがベツレヘムの馬小屋で、救い主としてお生まれになったことを祝うお祭りだということを知らなかった。

クリスマスになると父は山から大きなモミの木を伐ってきてくれた。大きな星をモミの木のてっぺんに飾り、小人を飾ったり、真綿で雪をつけたりした。

そんな中で、私にはクリスマスというと忘れられないことがある。クリスマス・イブが近くなると母は、お菓子屋さんにクリスマスのケーキを注文した。イブの夕方になると、父がそのケーキを受け取りに出かけるのである。その時、父は黒い大きなマントを着る。すると幼い弟と就学前の私は父のマントの中に入るのである。弟と私はマントの外を時々のぞく。外は猛吹雪。子どもたちは父のマントで吹雪から守られている。この安心感は何ものにも代えがたい喜びだった。お菓子屋さんに着くと、弟と私はマントの中でおとなしくしている。マントの父は六本足だった。父がケーキを受け取り、代金を払うのを待っている。父がお菓子屋さんからケーキを受け取ると、猛吹雪の中、大切にクリスマス・ケーキをもって家路を急ぐ。

さまざまな出会いや出来事を経てキリスト信者になった時、いつもクリスマスになると思い出すのは父のマントのことである。

『キリストにならう』という本の冒頭には「私に従う人は闇の中を歩かない」と、み言葉が書いてある。イエスさまやマリアさまのマントに守られて、私たちはこの世の容易ではない旅路を信仰の光に導かれて安らかに歩いていくのだ。