
人間ではどうでしょう。人間には三種類のストレスがあるそうです。まず、暑さや寒さ、騒音、悪臭などの物理化学的ストレス。飢えや過労、睡眠不足などの生物学的ストレス。不安や緊張、恐怖、興奮などの社会的ストレスです。これらのストレスは、ほとんどの場合、都会暮らしの中にあります。ストレスを解消するには、人と人の間に、ある程度の距離を置くことが必要です。
私たち夫婦は、夫の定年退職を機に、横浜の街から離れ、田舎での生活を始めました。何が変わったかと申しますと、第一に騒音とは無縁の静寂な暮らしになりました。聞こえてくるのは、森の中を渡る風の音、鳥の鳴き声だけです。第二に早寝早起きになりました。眠りが深くなり睡眠不足になりません。第三に精神的な緊張がありません。私は学生時代からの夢だった羊の世話を楽しんでいます。私たちは今、ストレスとは無縁の暮らしを送るようになったのです。都会から遊びにきた友人たちは、口々に言います。
「確かにストレスはないけれど、こんな田舎で、寂しくないの」
「そりゃあ、寂しいわよ。寂しいから、たまに友達と会うのが、嬉しいのよ」
私は中国の言葉を思い出していました。
朋あり遠方より来る、また楽しからずや

現代社会の多くの人は、「ストレス」状態にある自分を無視し、労わることを知らないように見えます。自分自身と深く向き合うことも少ないのかもしれません。もし自分の気持ちに正直になり、思いっきり泣いたり、怒ったりできるなら、それだけでも随分スッキリするものです。自分に必要な休養ーー歪みのない本来の自分を取り戻す時間をつくること、ストレスの中で何かをやり遂げた時なら、自分に何かご褒美をあげること・・・例えばゆっくりとお茶を飲み、音楽を聴く、好きなお菓子をいただくことなど・・・も忘れないようにしたいと私は思っています。
特に私は、意識的に、こころ赦せる人と共に息抜きできる楽しい時間を持ち、ありのままの自分を飾らずに分かち合う時を大切にしています。本音を話すことで、それ自体がストレス発散になります。同時に、誰か他の人に理解し共感してもらうことによって、落ち着いた気持ちで自分を客観視することができるようになります。
私にとって、こころ許せる人というのは、信頼のできる友人だけではありません。私のことを私以上にご存じである神様に祈ることもあります。「祈り」とは、心からの語り合いであり、本来の自由な自分に戻される何よりの時だと、私は感じています。