ストレス解消法

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

昨年、大腸ガンの手術をするまでは、私のストレス解消法といえば、一にも二にもおしゃべりすることであった。

気の合った友人知人としゃべっていると楽しくて時間が経つのも忘れ、気がつくと、ストレスなどいつのまにか吹き飛んでいた。

「美沙子さんがしゃべらなくなったら病気やわ」といわれるほどであった。

そんな私が手術のため入院した2週間、夫と息子以外、誰にも知らせていなかったので、見舞い客もなく、しばしば沈黙の時間を過ごさなければならなくなった。

その時、私を救ってくれたのが聖なる本であった。持参していた『奇跡の泉ルルドへ』と『聖ヨゼフに祈る』であった。

繰り返し繰り返し、暗記するほど読み続けた。まるで自分がルルドへ行っているかのような気持ちになり、マリアさまにすっぽり抱かれているような安らかさに包まれた。

また、ヨゼフさまがベッド脇におられて、私を見守ってくださっているかのような力強さも感じた。

今思えば、手術前後の10日間の絶食のストレスも、聖なる本のおかげで救われた。

今、私の書斎の机の脇の本棚には、200冊以上の聖なる本が並び、私をやさしく励ましてくれている。

『聖人事典』、「ファチマの牧童』、『アシジの聖フランシスコ』『ピオ神父と守護の天使』、『マザー・テレサ』・・・。

背表紙を眺めているだけで心がいやされる。

現在は小康状態であるが、5年間の経過観察の途中でひょっとしたら再発するかもしれないという不安はぬぐえない。でも、もしまた入院手術となったとしても、これらの聖なる本をたずさえていれば、きっとイエズス、マリア、ヨゼフさまが傍にいてくださるだろう。

ストレス解消法

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことについて感謝しなさい。」(一テサロニケ5・16〜18)

この御言葉をモットーに生きるなら、ストレスとは無縁でいられるはずです。

ところで、そもそもストレスの意味を、どう理解すべきなのでしょうか。国語辞典には「心身に物理的、精神的な刺激が加えられるときに、生体が示す反応、また、その原因となる肉体的、精神的な刺激や緊張」と説明されています。刺激や緊張がまるで無い日々など、退屈で持て余すに違いありません。そこで、ストレスを解消しようなどと思わず、ストレスと上手く付き合って、生活のアクセントにしてしまおうと覚悟を決めてしまえば、良いのではないかと思います。

ストレスと一口で言っても、ストレスにはやる気を起こさせたり、忍耐力をつけたりという良いストレスと、自信を喪失させたり、不安や不満をつのらせたりする悪いストレスがあります。良いストレスは好奇心をかりたて、快い緊張感をもたらすもので生活に活気を与えます。悪いストレスに対して解消法が必要になるのでしょうが、あえて解消しようとは思わず試練と受け止めて、乗り切る勇気を求めて祈ります。真向から向き合い乗り切れたなら、大きな自信と貴重な経験になります。

俗に云われる「ストレス解消法」とは、大抵全く別の事をして気分をまぎらわせるだけのもので、根本的な解決になってはいません。一時的にストレスを忘れることが出来ても、ストレスが無くなるわけではないのですから、問題を先送りするだけです。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日、自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である。」(マタイ6:34)

御言葉に励まされストレスを受けて立ち解決させて、自信につなげる生き方をこそ選びたいものです。


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