ストレス解消法

熊本 洋

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ことあるごとに「安心、安全!」が強調される、この21世紀の今の世の中。あまりにも人命、人のいのちを軽んじた悲しい事件や事故が頻発、この世に、不安のない社会、平和な世界は、ありえないのではないかと思うほどであります。

このような「安心、安全」のない世の中では、人々のストレスが募り、高まるのも、無理からぬことかもしれません。世の中の悲惨と人間の関係を考えずにはおれません。荒んだ人間が原因でこのような事態を招いたのか、政治の不行き届きでこのようになったのか。これは鶏と卵ですが、どちらも人間の心の仕業であることに違いありません。

ところで、インターネットを見ますと、ストレスの解消法が、無数に紹介されています。その中には、カルシウムや牛乳を飲めばよいと言う単純なものから、こんな"哲学的"な提案もされています。「どんなに賢くとも、どんなに用心深くしても、どんなに綿密に計画を立てていても、必ず予想もできないことが起こります。だとしたら、いっそのこと、不確実性にこそ希望を持つべきでないでしょうか」というのです。

これも一理あるかもしれませんが、これと真っ向正反対なのが、カトリックの教えです。

「神の臨在を信じ、絶対の信頼をもって祈りなさい。み旨にかなうならば、必ず応えられる」と説き、絶えず、祈ることを教えているのです。

「私たちにとって、祈りとは、心のほとばしりです。天に向ける素朴なまなざしです。辛い時にも、うれしい時にも、天に向けて上げる感謝と愛の叫びです」これは、19世紀の聖女、幼きイエスの聖テレジアの言葉です。あやかりたいものです。

ストレス解消法

森田 直樹 神父

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大して働き過ぎてはいないはずなのに、何かしら体が重く感じてしまう。あれやこれやと思い詰めてもいないのに、常に頭が重たく感じてしまう。もしかすると、知らず知らずのうちに、ストレスにさらされているのかもしれません。特に現代人は、様々なストレスの影響を大きく受けていると言います。

私自身は、実は、なかなかうまくストレス解消ができていないのですが、イエスはどのようなストレス解消法を実践されていたか、聖書でさがしてみました。

イエスの周りには実に多くの人たちが集まりました。病人を癒していただくために、また、イエスの言葉を聞こうとして、大勢の人たちがイエスをいつも取り囲んでいました。また、食物を増やす奇跡を目の当たりにした人々もイエスの元に押し寄せていました。実際、あまりにも多くの人たちが押し寄せたため、群衆に押しつぶされないように、小舟を弟子たちに用意させたと聖書は記しています。(マルコ3・9〜10)

 

また、群衆が集まって来て食事をする暇もないほどだったとも聖書は記しています。(同3・20)

このような中で、イエスは自分自身を保つために何をしておられたのでしょうか。聖書は伝えます。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(同1・35)

そして、弟子たちにも「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と勧めています。(同6・30)

具体的には、祈ったり、瞑想したり、文字通り体を休息させたり、また、散歩したり、自然に親しんだり、自分をゆっくり見つめたり、と様々な方法があるでしょうが、まずは、大勢の人たちとの関わりを少し休んで、人里離れた場所で、体と心を休めさせることが大切なのだ、とイエスは勧めているのではないかと私は思います。


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