ストレス解消法

服部 剛

今日の心の糧イメージ

心と体というものは繋がっており、日々のストレスをいかに溜めずに解消できるかが、健康の秘訣だと思います。以前、先輩の詩人から「家と職場の往復だけでなくサード・プレイス(第三の場所)をつくり、精神の憩うひと時を過ごすといい」と聞いたことがありますが、もし工夫して憩いの時間をつくれたら、少し気分が変わるかもしれません。

先日は忙しい日が続き、帰り道で歩くことにも疲れ、途中で喫茶店に入りました。最初は仕事への気力が落ちていた自分を責め、暗い気持が頭の中を支配していましたが、あれこれ考えるうちに眠ってしまいーー目が覚めると頭の中はすっきりしていました。

私は鞄から、昨年亡くなった井上洋治神父様の遺稿集を取り出し、頁を開きました。その日読んだ箇所には、〈人生はいつか消える虚無ではないか...〉と悶え苦しんでいた井上青年の思春期の思い出が語られていました。

ある日、井上青年は本棚にある1冊の本に目がとまり、縋る思いで引き抜きました。その本を読み、頁を閉じた井上青年の心の中には〈世界は灰色の虚無ではなく、希望にあふれた生命の大海なのだ〉という直観が芽生えました。

私は遺稿集を閉じると、今はもうこの世にいないはずの神父様が本の中から語りかけているような気がして〈雨の日でもまた晴れる・・今日の仕事も決して無駄ではなかった〉という気持になってきて、不思議な安堵感を胸に、妻と子が待つ家に帰りました。

時間に追われる日々の中で、誰もがサード・プレイスを持つことは難しいでしょう。ただ、忙しさの中でもほんの少し「お茶を飲むひと時」を作り、少しでも好きな本を読んだり、神様に偽りの無い思いを語るように短い日記を綴ることで、疲れた心の重荷は少し、軽くなるかもしれません。

ストレス解消法

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

忙しい毎日の中でストレスを感じることは多いものです。それぞれ各自にあった解消法をもっていることでしょう。

私の場合、日常的な小さなストレスは、十分に睡眠をとり、時間をやりくりして、いつもよりゆったり過ごすと消えていきます。こういう時は、人に会ったり映画を見たりすると刺激を受けるので避けるようにします。

もっと大きなストレスを感じる時は、よく神に祈る友人に問題を話し、お祈りを頼みます。私自身も神さまが解決の道を示してくださるように祈ります。

しばらく一つの事を祈り続けていると、気が付くことがあります。たとえば、起きた出来事に対する自分の考え方の癖などです。ものの見方が歪んでいると、問題ではないことを問題だと感じて勝手に傷つくことがあるのです。時にはこのような新しい気付きだけで苦しみから解放されることがあります。

攻撃的な言葉で批判されたと感じてストレスになっているとき、祈っていると心が変わり、ひょっとすると攻撃ではなく、私のことを真剣に心配してくれたのではないか、武骨な表現だけど、アドバイスだったのかもしれない、と思えたりするのです。心の目が開き新しい見方が出来たということでしょう。苦しみや違和感など自分の感覚に捕らわれ、自己に閉じこもってしまう状態と真反対のことです。

「祈り」は、神という他者に向かって心を開くことなので、自分から解放されていくのです。目には見えませんが、その絶大な効果によって、祈りは、確かに心に力を注ぐものだとわかります。また友人が私のために祈ってくれたので助けられた、と感謝が生まれます。そのうちにストレスは消えています。


前の2件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11