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岐路に立つ時

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

人の一生には様々な節目があります。卒業、入学、入社、結婚、出産、引っ越し、退職などなど。これらは事前に想定できる時もありますが、突然にやって来ることもあります。突然の出来事に直面せざるを得なくなって、立ち止まってしまったり、立ちすくんだりしてしまうこともあります。

またこのような人生の転換点は、大きな出来事を伴うこともあり、逆に小さな変化だけが伴うこともあります。このような様々な人生の岐路に立つ時、周りに支えてくれる人が誰もいないかのように思い、心細く感じてしまうこともあるかもしれません。

人生の歩みの中で、必ず訪れるこのような人生の岐路に立つ時、本当に私たちは一人ぼっちなのでしょうか。

イエスは今日も私たちに告げます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マルコ28・20)イエスのこの約束は、2000年の時を越えて、今も私たち一人一人に確約されている言葉です。

ある神父さんの言葉ですが、神さまとは、実は「待ち伏せしている神さま」なのだ、と言います。私たちの人生の節目節目に、私たちが人生の岐路に立っている時に、必ずそのそばにいて、私たちを「待ち伏せ」しているのです。

神さまが「待ち伏せ」しておられるとは、どういうことでしょうか。それは、私たちを力づけ、新しい方向を選ばせ、新しい一歩を踏み出すために背中を押してくれている、と言えるのではないか、と思います。

周りに支えが全くないかのように思えても、よくよく周りを見渡してみると、誰かが手を差し伸べてくれているかもしれません。誰かが心配してくれているかもしれません。

「岐路に立つ時」それは、私に手を差し伸べてくれている誰かを通して「待ち伏せしておられる神さま」と出会っていく時でもあるのです。