人生の歩みの中で、必ず訪れるこのような人生の岐路に立つ時、本当に私たちは一人ぼっちなのでしょうか。
イエスは今日も私たちに告げます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マルコ28・20)イエスのこの約束は、2000年の時を越えて、今も私たち一人一人に確約されている言葉です。
ある神父さんの言葉ですが、神さまとは、実は「待ち伏せしている神さま」なのだ、と言います。私たちの人生の節目節目に、私たちが人生の岐路に立っている時に、必ずそのそばにいて、私たちを「待ち伏せ」しているのです。
神さまが「待ち伏せ」しておられるとは、どういうことでしょうか。それは、私たちを力づけ、新しい方向を選ばせ、新しい一歩を踏み出すために背中を押してくれている、と言えるのではないか、と思います。
周りに支えが全くないかのように思えても、よくよく周りを見渡してみると、誰かが手を差し伸べてくれているかもしれません。誰かが心配してくれているかもしれません。
「岐路に立つ時」それは、私に手を差し伸べてくれている誰かを通して「待ち伏せしておられる神さま」と出会っていく時でもあるのです。