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天の国の鑑

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

今も昔も、人間は、東西を問わず、何かを信じて生きのびてきました。日本では、古くから神道、仏教があり、日本人は、その感化を少なからず受けています。平安時代の末期から鎌倉時代の初期にかけて、武士でもあり僧侶でもあり、歌人でもあった西行が詠った「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」のこの和歌は、数百年来、変わらぬ日本人のおおらかな宗教心を的確明快に表明しています。

キリスト教はそれからずっと後、1549年、フランシスコ・ザビエルによって日本にもたらされ、1605年には、75万人もの信者がいたという説もあります。鷹揚な日本人の心のあらわれと言えます。太平洋戦争という大試練を経て、戦後、日本人は多くの宣教師によって福音宣教が推進されましたが、神道をはじめとする土着の精神的支柱と対決しようとしたあまり、思うような宣教成果がなかったという反省の声も聞かれます。

幸い、バチカンでは、1960年代、それまでの他宗教に不寛容であった姿勢から、諸宗教との対話共存を重視する姿勢に大きく変りました。

キリストは天の国について、真珠・畑に隠された宝・パン種など多くの具体的例で、「見ても見ず、聞いても聞かず、悟らない人」のために説いています。(参:マタイ13章)これらの例は、それぞれ、人生における隠されている最高の価値のために自分のすべてを捧げる人の姿を描いています。そして神の業は、求めていようと、いまいと、すべての人の心に潜んでいるものであり、それに気付く人にとって、それは生き方そのものを変えてしまう強い力があることを説いています。

 

日常生活の中に、そんな「宝」が潜んでいることに気付き、分かち合いたいものであります。