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天の国の鑑

服部 剛

今日の心の糧イメージ

人間の体の中で最も不思議なのは、瞳ではないでしょうか。誰もが丸い眼球を持ちながら、誰もが違った顔であり、(目は口ほどにものを言う)というように、言葉では表せない心の表情を私達は日日、無意識のうちに互いの瞳で伝えあっています。

暮らしの中で出逢うのは必ずしも相性の良い人ばかりではなく、ちょっとした言葉や態度で傷ついたり、傷つけてしまうことがあります。ですが、少し間をあけて、例えばひとりでお茶を飲むひと時にふと思うのは、(もしかしたら、相性の良い人も悪い人も、黒い瞳のずっと奥には共通の〈誰か〉がいるのでは...)ということです。

仏教では〈逆縁の菩薩〉という言葉があり、〈苦手な人の中にも実は仏がいて、大事なことを教えるためにその人と出逢わせる〉のだそうです。また、自分にとって望まない出来事の中に深い意味が隠されていることもあり、それは〈信仰の目〉によって初めて、後から見出すことができるのでしょう。

イエスは聖書の中で、人々の前に子どもを呼び、「この子どものようにならなければ、天の国には入れない」と言いました。きっと、私達が出逢う一人ひとりの瞳の奥にーー自らの瞳の内にーー子どものような〈童心〉は宿っており、色褪せた日常の色を取り戻す鍵は〈童心の目〉で日々の場面をみつめることだと感じます。

1日を振り返ると、いくつもの至らない自分の姿が目に浮かび、人それぞれの持ち味も弱さも見えるものです。以前、あるシスターから「各々の仕事を合わせてこそ、人は〈仕合わせ〉なのですよ」という話を聞いたことがあります。子どものようにすべてを天に委ねて、与えられた持ち場を自分らしく無心に生きる時ーーその人は素朴な鑑となり、周囲をほのかに照らすでしょう。