仏教では〈逆縁の菩薩〉という言葉があり、〈苦手な人の中にも実は仏がいて、大事なことを教えるためにその人と出逢わせる〉のだそうです。また、自分にとって望まない出来事の中に深い意味が隠されていることもあり、それは〈信仰の目〉によって初めて、後から見出すことができるのでしょう。
イエスは聖書の中で、人々の前に子どもを呼び、「この子どものようにならなければ、天の国には入れない」と言いました。きっと、私達が出逢う一人ひとりの瞳の奥にーー自らの瞳の内にーー子どものような〈童心〉は宿っており、色褪せた日常の色を取り戻す鍵は〈童心の目〉で日々の場面をみつめることだと感じます。
1日を振り返ると、いくつもの至らない自分の姿が目に浮かび、人それぞれの持ち味も弱さも見えるものです。以前、あるシスターから「各々の仕事を合わせてこそ、人は〈仕合わせ〉なのですよ」という話を聞いたことがあります。子どものようにすべてを天に委ねて、与えられた持ち場を自分らしく無心に生きる時ーーその人は素朴な鑑となり、周囲をほのかに照らすでしょう。