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神の呼びかけ

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

「"心のともしび"の原稿をお願いします。」とマクドナル神父様がおっしゃった時、私は思わず「私などで宜しければ喜んで」とお答えし、お引き受けしました。毎月テーマを戴き書き続けるうちに、私の体験や思いを必要として下さる方の存在を感じ、今では、はっきりとマクドナル神父様を通し、神が呼びかけてくださったと思っています。

受胎告知の場でマリア様が「わたしは主にお仕えする者です。お言葉の通りこの身に起こりますように。」(ルカ1・38)とおっしゃった言葉こそが、人として最も謙遜な態度なのだと、子供の頃から教えられて育ちました。主がガリラヤ湖畔でシモンペトロとアンデレ兄弟に呼びかけられ、続いてヤコブとヨハネにも同様にされた時、彼等は網も舟も全てをその場に捨てて主に従ったと、(マタイ4・18〜22)繰り返し聖書を紐解き、人間は、一生の内、いつか生かして下さる方の呼びかけがあるという期待と畏れの感覚を心に持ち続けて大人になりました。でも、何時どんな風に神は呼びかけて下さるのでしょう。ある時、私はカラヴァッジョ作の「マタイの召命」という絵から悟りました。聖書の記述通りではなく、マタイは数人と談笑をしており、客の装いで入り口に立つ男がマタイを指差しています。キリストと解るようには描かれていません。ただマタイは思わず「私ですか」と自らの胸を指差し、横顔は全てを捨てて、主についていく決意に輝いて見えます。

「人間を描くのなら是非"鎌倉のキリシタン"を描いて」との雪ノ下教会主任司祭の言葉は、神の呼びかけでした。以前の絵を捨て、以来、キリシタンを30年余描き続けています。

呼びかけを感じた時、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10・8)と聖書にある通り、使命を持って働ける幸せを感謝する日々です。