喩えていえば、あたかもドングリのようなものです。ドングリは樫の木の種です。ですから、ドングリをしかるべき土地に植え、天と地、人の世話という恩恵が与えられれば、健やかにどんどん成長して、見事な樫の木になります。
そのように私たち人間も、さまざまなご縁に支えられるならば、みな見事な神の子として成長するにちがいありません。ですから、知性と自由意志をもった私たちは、自らの選択と決断によって、名実ともに神の子にならなければなりません。
ヨハネによる福音書1章12節には、こういう言葉が記されています。
「神の言すなわちイエス・キリストは、自分を受け入れた人、その御名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、神によって生まれたのである」と。