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無限の可能性

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

人には無限の可能性がある、と言われたからといって、誰が信じるでしょうか。

私はキリスト教のクラスで、人間の限りない偉大さを示すために聖書の言葉を引用します。旧約聖書の『創世記』の冒頭には、神が天地万物を創造された後、最後に人間を創造する場面が記されています。

「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』」と。すなわち、人間は神の似姿として創造されたのです。したがって私たち人間は、無限の可能性を秘めていることになります。その可能性とは何でしょうか。驚くべきことには、人は神の子として創造されているということです。けれども、この真実も信じなければ何もなりません。信じるなら、人は神の似姿に成長していきます。

喩えていえば、あたかもドングリのようなものです。ドングリは樫の木の種です。ですから、ドングリをしかるべき土地に植え、天と地、人の世話という恩恵が与えられれば、健やかにどんどん成長して、見事な樫の木になります。

そのように私たち人間も、さまざまなご縁に支えられるならば、みな見事な神の子として成長するにちがいありません。ですから、知性と自由意志をもった私たちは、自らの選択と決断によって、名実ともに神の子にならなければなりません。

ヨハネによる福音書1章12節には、こういう言葉が記されています。

「神の言すなわちイエス・キリストは、自分を受け入れた人、その御名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、神によって生まれたのである」と。