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無限の可能性

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

ミサの中での福音、(みことば)は、年がわりで四福音書から順にとり上げられます。

2014年の主の降誕、日中のミサでの福音書は「ヨハネによる福音」の第1章1節から18節でした。クリスマスの福音を比べると、マタイとルカの2人は、丁寧に受胎告知から降誕までの物語を綴っています。しかしマルコとヨハネは洗者ヨハネの登場から物語を始めています。ことにヨハネの福音書は「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」という書き出しです。

私はまだ子供で日曜学校に通っていた時から、このヨハネ福音書の冒頭が大好きでした。当時は文語体の聖書で、『初めにことばありき・・・』と大きな声で暗誦し気分を高揚させたものです。今思うと子供心にも「ことばは神なり」という所に、無限の可能性を感じていたのでしょう。

誰も知らない何も無い所に一人ぼっちで居る時、誰かに話しかけられた一言から、にわかに元気が出て来るという体験は、子供にとって貴重です。この体験は次に、全く新しい環境に放り出された時、自分から言葉を発することが出来るという勇気に繋がります。

素直なことばは発した人そのものなので、黙って聞いているとその人の出身地や職業、人柄までが表現されていることに気付きます。選挙運動のときなどは様々なことばが飛び交いますが、本当のことばではないので、騒がしい音に過ぎません。

ヨハネも「言の内に命があった」と言っています。命そのものの言によって、人は互いに理解を深め力を束ね、困難を乗り越えていきます。

私はことばに無限の可能性を感じます。