インターネットとは別に、可能性を格段に広げるつながりがある。しかもそれは2000年以上前から存在してきた。それは教会というつながりである。
世界中どこにいっても日曜日に教会に行けば、言葉はわからなくてもミサには参加できる。多くの場合、訪れた教会の人たちは世界からの訪問者を歓迎してくれるはずである。
そのありがたさを最も感じることができるのは、教会関係の国際会議に参加した時である。
昨年12月インドネシアで開かれた教会の広報担当者のアジア会議に参加した。民族や国家や政治状況や言葉のハンディやそれぞれの利害を超えて、自由で対等な心の交流を体験して感動した。政治的には緊張関係にある韓国の人や香港の人とも心を開いて何でも話しあうことができた。それぞれの活動についてわかちあい、共通の課題を設定し、その解決のために協力することを誓い合った。その共通の課題とは「家族の価値」というテーマである。
こういう国際的な交流は、スポーツ界や学者、多国籍企業でなら可能であるだろうが、民族、国家、政治状況、言葉のハンディ、利害を超えて、心の交流をここまで可能にするのは教会以外にはなかなか見つけられないのではないかとクリスチャンであることのありがたさを痛感した。
ここにも無限の可能性があると思った。