いくら可能性は無限と言っても、私の息子が自分のリサイタルの舞台で、超絶技巧の難曲を、前人未踏の2倍、3倍の速さで弾き切るとか、世界陸上の100メートル走を5秒で走るとかは、本当に出来るのでしょうか。
一方、何100億光年とも言われる驚くべく大きい宇宙を、聖書に書かれているように、いとも簡単に、まるで「衣のように折り畳む」という神は、無限そのものであって、所詮は限りある私達の可能性とは桁違いでしょう。
先に述べた、私達の彗星へのアプローチも、たとえそれが私達の感じ方からすれば、巨大な可能性の現実化と言えるかもしれませんが、全能の神から見れば、何100億光年の何100億倍だったところで、これをも「衣のように折り畳める」ことに全く変わりはないでしょう。
それなのに、この全能の神様は私達一人一人を、まるで独り子のように愛していて下さるとの事です。
すると、ここにやはり、「無限の可能性」と言ってよいものがありそうな気がしますが・・。
つまり、神の方から私達を、限りない世界へと抱き取って下さる、限りなく愛していて下さる、と一貫して仰るのでして。