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無限の可能性

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

最近、宇宙空間を10年も飛行して、地球からはるか彼方の小さな小さな彗星に、無事着陸した宇宙探査機がありました。すごいですねー。

宇宙がいくら大きいと言っても、私達人類が切り開いた、または発見し、それを手中に収めた力学その他の応用から、更に遠くの、更に小さな彗星に着陸させる事は、「勿論!」と胸を張れる、可能性のかなり上のランクに、われわれ人類はいるのかも知れません。 それでも、私達にもっと身近な、例えば太陽に着陸し、そこに家を建てたり、暮らしたり出来るかといえば、やっぱり無理、と言わざるを得ない事例は数多くあることでしょう。

いくら可能性は無限と言っても、私の息子が自分のリサイタルの舞台で、超絶技巧の難曲を、前人未踏の2倍、3倍の速さで弾き切るとか、世界陸上の100メートル走を5秒で走るとかは、本当に出来るのでしょうか。

一方、何100億光年とも言われる驚くべく大きい宇宙を、聖書に書かれているように、いとも簡単に、まるで「衣のように折り畳む」という神は、無限そのものであって、所詮は限りある私達の可能性とは桁違いでしょう。

先に述べた、私達の彗星へのアプローチも、たとえそれが私達の感じ方からすれば、巨大な可能性の現実化と言えるかもしれませんが、全能の神から見れば、何100億光年の何100億倍だったところで、これをも「衣のように折り畳める」ことに全く変わりはないでしょう。

それなのに、この全能の神様は私達一人一人を、まるで独り子のように愛していて下さるとの事です。

すると、ここにやはり、「無限の可能性」と言ってよいものがありそうな気がしますが・・。

つまり、神の方から私達を、限りない世界へと抱き取って下さる、限りなく愛していて下さる、と一貫して仰るのでして。