▲をクリックすると音声で聞こえます。

古い自分を捨てる

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

結婚式の引出物を頂いた。引き出物のお菓子はバウムクーヘンである。樹木の年輪を模ったこのお菓子には、2人が人生の年輪を共に重ね、いつまでも幸福でありますようにとの祈りが込められているようだった。

長い歳月を生きるうちに、人の裡には、まさに年輪のように時間が重なっていく。その時間は消えないで、幼子だった自分、少年や少女だった自分、若者だった自分をまだ住まわせている。例えば、子ども向けの童話や絵本を読んで、思いがけず心を揺さぶられることがある。目の前の光景が消え、いつの間にか、懐かしい家や匂い友だちのことを思い出している。それは彼方からの遠い声に呼ばれて、自分の中にいる小さな子どもが目を覚ました時なのだ。

私たちは全て自分で判断し、行動しているようで、実は目に見えない子どもの声に従っていることがある。

或るお宅では、高価な棚におもちゃの乗り物が沢山並べられ、立派な本棚には、古い少年漫画雑誌がぎっしり並べられていたが、それはお父さんの部屋なのだった。こんなおもちゃが欲しかった、こんな漫画が読みたかった、と父親の中の少年が作らせた部屋のように思えた。大人が大人らしくない不思議な行動をする時は、心の中の古い時間とそこに住んでいる子どもがさせているのかもしれない。

自分の中に様々な時間が流れていることを知る時、誰も皆、小さな子どもを胸のなかでいたわりながら生きているのだと理解した時私たちは初めて、立場や年齢の違う人々に深い思いやりを持てるのではないだろうか。そうだとすると、「古い自分を捨てる」のは不可能に近いことに思える。捨てるとすれば、「古い習慣」や「古い考え方」くらいにしておいた方がよいような気がする。