戦時中、禁じられた英語をマスターしたい、同時に、家庭に僅かでも現金を入れて、家計を助けたい、そんな思いを叶えてくれたのが、当時東京に多かったアメリカ兵士、軍人たちのための上智大学国際学部の夜学でのアルバイトでした。
職を得たものの、夜学ですから家路につく頃は暗く、大きな寺の境内を通って戻る時、怖い目にも遭いました。事無きを得たのですが、母からは、「今後、まわり道をしても、安全な道を通って帰りなさい」と命令されたのです。そして母は、70歳を過ぎていたのに、毎夜、必ず道の角に立っていたのです。
背も丸くなり、低くなった母が着物を着て待っていてくれるのを、抱きかかえるようにして、戻ってから頂く母の好きな和菓子2つを買って家路につきました。「急がばまわれ」「まわり道をしても」このいずれの言葉も、母の愛情を思い出させてくれます。
それは、危ない道、安易な道よりも、「人」として安全な道を歩き続けなさいという、母の愛の言葉でもあります。